文章を書くのが好き

 きっかけはテニスの王子様か、ドラマのごくせんあたりだったように思う。当時検索をかければ簡単に引っかかる小説は当然のように名前変換ができた。もしかして自分の本名が相手に知られてしまうのではないか、と少し不安になった。当たり前だがそんなことはなく、今もサイトはサイトとして存在しているのが懐かしい。
 感化されて、ホームページを作って、お話を書いて、ブログも含めて多くの投稿や更新を続けてきた。今ではツイッターやプライベッターという媒体で何かしらの文章を書いてあげている。


 文章を書いてから、もう何年も経った。

 言葉は声に出すよりも、手で打ち込む方が早い、と気づいたのは中学生の頃だった。日常的にパソコンが手元がある中で、いちいち手書きをするのが面倒になっていた。文字を書くよりもモニターに打ち込む方がよっぽど効率的で性に合っていた。
 多感な時期であったこともあり、悲しいことも悔しいことも、つらいことも、時々滅入ることも。全てを文字に書き起こした。湧き上がる感情が衝動として込み上げてきて、間に合わないことも多々あった。言いたいことをうまく言えないことも、消化しきれないもどかしさも、たくさん抱えてきた。

 書いても消化できないことが多かった。だが、書かなければどうしようもない感情の方が、もっと多かった。

 文章を書く。誰かに向けて発信する。ひとつのルーティンになっていた中、当たり前のようで当たり前ではなかった日常を、多忙がゆえに一時的にやめた。外に遊びに行き、朝まで飲み明かすことが増えていた。どこにも告知はしなかった。やめた、といっても、本当は続けたかったができなかっただけに過ぎない。環境の変化も、状況の変化も目まぐるしかった。


 自分が書くことに意味はないと納得すれば簡単にやめることができた世界は、だが、自分が知らない誰かが思ってもみないほど評価をしてくれる、そんな世界だった。

 

 MIU404を見て、楽しくて毎日がワクワクした。二次創作を読み漁って、再び書くことを自ら望んだ。
 指が走る。楽しくて言葉が溢れる。高揚感は何にも代えがたい。
 全力疾走をしながらモニターと向き合った。書きたい気持ちと、限界の境界線に近づいていることはある程度分かっていた。

 書けば書くほど、限界を知る。言いたいことをうまく言葉にできない。調べても調べても、語彙力の限界にぶち当たる。

 もうこれ以上、何かしらを生み出すことはできない。そんな気がした。何回も、そんな気がする。

 思いながら、過ごしていく日々で不意に思い浮かんだ出来事を文章にしたくなる衝動は止めることはできない。日常の中に志摩さんがいて、伊吹がいて、九重くんがいる。時々現れる久住くんはいまだに口調が分からないでいる。

 その瞬間に鮮やかになる日々が楽しくて、指がキーボードを叩いている。

 

 自分が作る文章を肯定したいと思う。書いて、台詞を紡いで、納得がいくように完結させるのが、好きだ。
 時々どうしていいか分からなくなることもあるが、やはりどうしたって指先から言葉を紡ぐのが好きらしい。誰に伝わるかも分からない、誰にも伝わらなくていいと思いながら、誰かに伝わって欲しいと欲張りになる。

 

 お酒を飲みながら、文章を書く。ふとした瞬間、「あ、この表現、すごく好きだな」と堪らなくなる。
 その表現が誰かに響いてくれたら、そんな嬉しいことはない。