自分ルール強め👓

 こんにちは。mgnです。気づいたらこのブログ、一年更新していませんでした。2024年もよろしくお願いいたします。

 新年早々、アイコンにしている眼鏡の右レンズを紛失しました。すごくないですか?レンズなくしたことあります???しかも酔ってとかではないんですよ。

 この眼鏡はメインで使っているわけではなかったので、酔っぱらって帰ってきたときにメイン眼鏡(A)がすぐに見当たらなかったのでサブ眼鏡(B)を数か月ぶりにかけたらめちゃくちゃ視界がおかしくなってて、え、何で何でってなりました。なりますよね。なるのよ。酔ってたし。

 まあ結果的に右レンズがないからそうなってたんですけど(笑うところ)、左のレンズがあるので、これ多分目が悪い人は分かると思うんですけど、視力って左右差あっても両目で見ると補正されちゃって見えないけど見える視界になるんですよね。多分。多分ね。酔ってるし夜中だし分からん~~~って思いながら、レンズがない方の目にまだコンタクトでもついてるのかな?って指突っ込んだら眼球でしたよ。危ない。

 大混乱を起こしたけど何とかベッドで眠りました。自分の危機管理能力のバランスがよく分からない。

 でね、その眼鏡(B)はいまだにレンズがありません。散歩中。いやほんとう、家出してないで早く戻っておいで!!!!!!!!

 

 で、別に眼鏡の話をしたかったわけではないので、全然話は変わりますが、お話書く時って自分ルールありませんか?わたしはめちゃくちゃあります。まず書く時、三人称で書く。これはもう強い。結界張られてるんじゃないかってぐらい強いです。

 読む時は何も感じませんが、自分で書く時ですね、一人称で書くと俯瞰的に物事を捉えられなくなる傾向があり、結果、書きたい部分が全く書けなくなることがとても多かったんですね。その昔。ヒロインないしは相手との対話も、主観が入りまくるので軌道修正が難しくてやめました。とは言え、三人称といえど彼女目線、相手目線、というのがあるのでいまだに引っ張られて書いてて思っていた方向じゃないところにいってしまうこともあります。あんま学習してないな。

 段落の字下げ、三点リーダはふたつ繋げる、会話文の「」のあとに句読点はつけない、『』は通話などの時に使う、などなど。何かそうしないと自分がもやもやしてしまうだけなので、読んでいる時はあまり気になりません。ら抜き、い抜きも、むしろ会話文はその方が読みやすいですよね。地の文では気をつけてますが、もしかしたら書いていて気づかずに抜けてる時もあるだろうなと思います。

 

 あとは、彼女(ヒロイン)の一人称ですが「わたし」って表記しているんですが、これすごい謎のこだわりがありますね。一昔前、ユメショが流行ってた頃「あたし」という表記がとても多かったんですね。で、何かそれは違うなーという個人的な思いがあった中、学校の授業か何かで「私」といいうのは「わたくし」と読むのが正しい、みたいなことを言われたような言われなかったようなということがあり、それじゃあ「わたし」だと絶対間違えないじゃん~~~!!!とそうしてから早十何年。

 何か柔らかくてよくないですか、「わたし」。めっちゃかわいいなって思いながらずっと書いてます。

 

 今、スマホで長編を書く方も多くいらっしゃるらしく、キーボードで書いてて2000文字そこそこで息切れする身としてはただただ尊敬の念を抱くばかりです。

 書けねえって……マジで……ただ一文章でも創作するみなさんリスペクト。ありがとう。世界に自分が書いた文章を公開してくれて嬉しいです。

 

 ってね、わたしはわたしの文章を「誤字脱字ないぞ!!よssy!!!いける!!!!」って自信をもって出すんですけど、だいたい酔っぱらっているので毎回後悔と反省の繰り返しです。シンプルに間違えていることもあれば、同じ言い回しや表現をしてしまっています。あ~~~~って思いながらお話をあげてしまう。

 いつも、これあげてもいいかな?ってびくつきながら、でもせっかく書いたからあげたいな、という気持ちがせめぎ合って、お酒の力で上げているわけです。なんてやつだよ全く。

 

 お話を書く際に彼女の名前を決めたりだとか、いろいろ自分に謎の縛りをつけて書いてきましたが、それはそれでよかったなと思うばかりです。そうすればそうするほど、自分が書きたい話に近づくんですよね。おもしろい。

 レパートリーも引き出しも少ないので、毎回毎回凝りもせず両片思いだったり、居酒屋でしか会ってなかったり、朝起きた時とか、夜眠ってる時だったり、なかなかバリエーションがないなと我ながら実感します。お前、本当、生ビール飲んどけばいいと思ってんだろ……?みたいなね。

 何か今も飲んでるんですけど、急に自分に書き方の癖みたいなのを記録したいなと思ってブログ書きました。お話と同じで、このぐらいの文章量で息切れしてます。でも大体言いたいこと言えた気がします。伊吹の長編で3万文字書いた自分えらい。すごい。優勝。

 本文書き切ったあとに、苦しめられるタイトルと表紙問題ね。自分で自分の首絞めてるだけなのについつい探してしまう。試行錯誤しても正解ってないんだな~とか思いながら唸って作ってしまうよね。

 

 こんな感じで今年もお話を書いていきたいと思います。

 九重くんの長編、構想だけ練って4年も書けていないところ、新しく志摩さんの長編を書こうとしています。アホかな?彼女の名前は決めました。拗らせすぎてすでに挫折しかけている。

 

 また今年もいっぱいお話かけたらいいな!!!!!!!!!30連休ください!!!!!!!!!!!!

THE FIRST SLAM DUNKを3回観た

 好きになったきっかけを思い出せない作品のひとつがスラムダンクだ。年代的には少し上で大ブームを巻き起こした作品で、兄がいるがあまりスポーツ漫画に興味があるタイプではなかったので影響としてはほぼ皆無である。

 いつ興味を持って、いつ好きになったのかまるで思い出せない。それでも出会いはあったのだろう。ふとした瞬間、帰り道の交差点で声をかけてくれた誰かがいたのかいないのか分からないが、何だか猛烈に好きになって中学生の時に完全版24巻を毎月の小遣いをはたいて地道に集めた。

 ブックオフに中古本が並んでいる中、どうしても新しい一冊が欲しいと書店に向かったことは鮮明に覚えている。そのあともたくさんの漫画にハマって買って、時には手放した作品もあるが、スラダンは今も本棚のスタメンの位置にいる。何度読んでも、何度も同じところで泣いて、はじめて感動する場面もある。

 

 そのスラムダンクが、映画化された。(以下、映画のネタバレもあるのでご自衛ください)

 

 公開前、声優交代やプロモーションの面で炎上していたこともあり映画館で観賞することには消極的であった。

 2022年12月の水曜日。公開日から確か、二週間ほど経過した頃だっただろう。一つの用事を済ませる『ついで』という形でTHE FIRST SLAM DUNKを観賞した。言ってしまえば休日の時間潰し。そんなつもりでしかなかった。

 開始冒頭から引き込まれ、過不足のない展開に息を飲み、気づけばマスクが涙で濡れて使いものにならなくなっていた。漫画で読んでいたスラムダンクの一人一人が、スクリーンの中に間違いなく生きて、呼吸をしている。

 

 話は遡るが、漫画の最後で宮城がキャプテンになる展開がある。読んでいる時に「いやそれは無理だろ」と、何というか宮城というキャラクターに重きを置いていなかった。

 流川のようにスター性はなく、桜木や赤木のようなフィジカルもない。スタミナ面では難があるが、3Pと天性のセンスを持ち合わせる三井にも――正直に言うと、劣る、と思っていた。

 思っていたが、映画を最後まで見て、ああ、宮城こそがキャプテンなんだと完膚なきまでに納得させられていた。家族の過去はあるが、それも関係なく、チーム全体の流れを引き寄せ、一人一人がコートの上でどう活きるかを把握した上で的確に指示を出すことができるのはキャプテンの素質があるからだ。

 だというのに、宮城リョータはプレッシャーに弱い。大事な試合の前に一人トイレに籠って吐いてしまいそうなほどに。虚勢を張って、強がって、心臓ばくばくなことを必死に隠す。

 

 

 は~~~~~~~~~~~~もう無理………………何なの????????????

 

 一回目、ついでで観て号泣して、二回目を友人と観た。三回目をIMAXで観てもうとにかく!!!リョータの顔が!!!!!!!いいんですよ!!!!!!!!!!

 

 主役がリョータにはなっているし、確かにそうなんだけどリョータを主軸に描かれる湘北メンバーがまた良いことでしてね……確かにそれぞれの関係性において、原作にあったからこそ活きるエピソードがなくなった物足りなさもあるけれども、映画の尺で収めるなら納得の展開しかない。そもそも原作の井上先生が脚本を書いているので圧倒的信頼の上に成り立っているので、齟齬がない。

 あと三井さんの乱闘はコンプライアンス的に問題が起きる的なツイートを読んで激しく納得した。いやそもそもだいぶソフトにはなってるけどあのヤンキー感に令和は付いてこれてるのかしら……?

 自分に落ちてくる雪のことを『ゴミ』だと思ったのか、地面に倒れている自分のことを『ゴミ』だと揶揄したのか、そのあたりもリョータお前本当好きってなってちょっと記憶が朧げ。

 

 あとこれは観る年齢にもよると思うんだけれども、リョータのお母さん(カオルさん)がソータくんの荷物を片付けようとしてリョータを跳ね飛ばすシーンは、何というか、感情と理屈がかみ合ってないジレンマに息を詰めてしまった。突然息子を亡くしたカオルさんも、突然兄を亡くしたリョータも、どちらもつらくて、でも部屋にあったお面を被ってバスケットへの夢を馳せることができるリョータと、現実と向き合い続けるカオルさんとでは突きつけられている事実が違うんだなと痛感する。リョータがバイク事故に遭った時のカオルさんの心境を考えたら普通にしんどい。

 それでも、誕生日にホールケーキを買って、録画しているホームビデオにはソータとリョータが同じように映って思わず笑うカオルさんには幸せになって欲しい。手紙を書き直すリョータも、その手紙を読むシーンも観る度に泣いてしまう。

 

 湘北メンバーのやり取りも漫画で読んだ(見た)シーンがリアルに再現されてたり、より深く描かれていたりで瞬きすら惜しくなるほどだった。このあたり、原作の井上さんの「ここはファンが観たいだろう」というニーズをきちんと把握していてさすがだなと思った。それにしても流川のまつ毛がマジで長い。念を送ったり、込められたり、端っこでドタバタと漫画と同じように動く花道とてもかわいい。体力オバケ。

 魚住さん、赤木へ声をかけることはなかったけれども観客席の前の方にきたり、もとの座席に戻って立ち上がったりとめちゃくちゃ目立っていて笑った。3回目でようやく海南メンバーを確認したが、思っていた以上に映っていた。牧さんどころではなくみんないた。あとジャージの色的に恐らく翔陽がいたような……?

 

 漫画の中で飄々としている宮城が背負っている重さに、見ているこちら側が押しつぶされそうになりながら、でもバスケットがある、ソーちゃんにもらった言葉が、リストバンドがある、と自分を奮い立たせるリョータが眩しい。その眩しさに呼応する赤木、三井、流川、花道、そして木暮くん、ベンチメンバーが眩しい。映画でも謎のTシャツを着てて笑いました木暮くん。

 円陣を組んで指示を出すリョータにキャプテンの資質を見出して掛け声はお前がするべきだって示す赤木キャプテン。ブランクがあるため体力が追い付かなくてふらふらになっても、リョータからのパスを受けて得点を取る三井の勝利への執念を存分に感じた。炎の男だよ。かっこいい。旗を揚げたい。流川と花道はいつまでも反発し合いながら相手を尊敬する仲であって、将来的にプレーする場所が違ってもリョータが取り持つんだと思うとキャプテンなんだなとしみじみする。(いやまさかリョータが渡米するとは思わなくて1回目観た時には座席でひっくり返ったけど)

 

 映画を観ている最中、まさに一挙手一投足、見逃せなかった。

 わずかな表情の変化すら目を奪われて、これは落ちる――――落ちた、と思ったが、リョータって彩ちゃん好きなんですよね!!!!!!!!!!!だいぶ前から知ってる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 手のひらにNo.1 ガードって書かれて、アメリカの試合でも手のひら見てるリョータ!!!!!!ちゃんと付き合ってるの?!?!?!?!?大丈夫!?!??!?!ってなってなんかもういろいろ情緒不安定。

 

 原作で幼少期が描かれてるのって確か山王の沢北だけだったと思うんですよね……映画でも足りない経験の『敗北』を味わって泣き崩れるところめちゃくちゃ高校生らしくて好きだし、それでもアメリカ行く沢北さすがだわって圧倒されて、リョータ出てきてエンディング、座ってるのに倒れそうだった。

 人気なキャラクターをもっと好きにさせる井上先生すごすぎて語彙力がとっくにない。コートに置いて忘れた。

 

 

 

 本当にすごい映画でした。好きだから、というフィルターがかかっているにしても、こんなにも心臓がばくばくした映画は久しぶりでした。

 っていうか志摩さんと宮城リョータって同じぐらいの身長なんですよ、知ってました?(?)

 公式が圧倒的正義のためリョータに恋した瞬間失恋確定でつらいので、木暮くんに励ましてもらいたいと思います。あと5回ぐらい映画館で観たい。

smさんと小説

 以前から志摩さんは学生時代、ブレザーなのか学ランなのか問題、通学は電車だったのか自転車だったのか徒歩だったのか問題、文系なのか理系なのか問題を勝手に持ち出し、日がな一日そのことばかりを考えるという不毛とも呼べる時間の使い方をしていたことがある。

 3話でピタゴラスイッチのことをさらりと「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン 」と言ってのけるあたり、めちゃくちゃ物理できる人じゃん……じゃあ理系かもな……とは思っていたが、そもそも物理が理系かも分かっていないド文系。さすがに文系ではないから理系かという雑なカテゴライズ。関係ないけど、あの一瞬で装置を作る志摩さんかっこいい。そしてご機嫌。

 

 語彙力が豊富だからか、演じている星野さんが実際に書籍を出しているからか分からないが、何となく志摩さんからは文系のイメージを感じ取ることが多い。そうであって欲しいという自分の理想もあるのかもしれない。

 ツイッターのアンケートでは四人の文豪を選択肢に入れたが、文学に弱いのであまり傾向としては参考にならないような気もしている。

 

 話は逸れるが、わたしは高校生の頃あまり文学を読んでいなかったし、今でも純文学とその他の小説の違いが分からないでいる。ざっくりと、教科書に載っている小説、青空文庫にある小説が純文学で、東野圭吾宮部みゆきは最近の作家、という詳しい方から見たらドン引かれるレベルなのかもしれないし、そのレベルの違いも分からないぐらいである。すみません。

 とあるきかっけで、大学四年生の時に森鴎外の「高瀬舟」を熟読することになった。それこそ何百回も読み返し、言葉の意味や時代背景まで調べ上げたので冒頭に関しては今でも空で言えるぐらいである。文章には無駄がなく緻密であり、淡々としているのに、しているからこそ表現の現実さに引き込まれた。

 その後、太宰治に一時期ドはまりして青空文庫で多くの作品を読み漁った。森鴎外の地に足がついた言葉選びとはまた違う、どの表現が正しいのかは分からないが、衝動さや儚さだったり刹那的な何かを強く感じていたことをは今でもよく覚えている。久しぶりに読みたくなってきた。

 高校の国語の先生が「たくさん純文学を読んで欲しい」とよく言っていた。言われた当時はあまり深く受け止めなかったが、二十歳を超えてから作品に触れた時、確かになと思った。

 十代の時にこの感性に触れているのといないのとでは違う。何が違うのか具体的には言えないが、何か分からないまま違うということだけが分かる感覚があった。だがそれは二十代だから感じることかもしれないし、十代の時に理解が追い付くかどうかも分からない。いつどのタイミングで読んだとしても人それぞれ感じ方は異なるということも分かる。それでも、圧倒的な吸収力を持っていたあの頃、国語の先生の助言を受けて読んでいたらよかったなと思わずにはいられない。

 だからこそ、高校生で純文学に触れる人たちがわたしには眩しく映る。電車通勤をしていた時、大きなエナメルバッグを足元に置いた学生が、首がもげるんじゃないかってぐらい食い入るように読んでいたのが太宰治の「人間失格」だった。柔道部かアメフト部か、とにかくガタイの良い学生が大きな手で丁寧な手つきで取り出して読んでいたのが夏目漱石の「こころ」だった。

 

 志摩さんから大幅に話がずれてしまった。

 志摩さんは隙間時間さえあれば文庫本を持っていただろうなとか、文庫本も購入するより図書館で借りていただろうなとか考えてしまう。片手持ちも捨てがたいが、やはり丁寧さを重視して両手で持って読んでいると思う。

 通学形態が分からないが、ぜひとも電車通学でドアと座席の角の位置を確保して背中を預けながら朝の読書の時間を待ち望んでいたと分かる表情で本を取り出して欲しい。ページを捲る指先は次を読みたいと逸る気持ちと、読んでいるその一文や言葉の余韻に浸りたいという気持ちの狭間で少し躊躇っていたりして欲しい。

 休み時間、同級生とお弁当を食べながら談笑する志摩さんも好きだが、勢いよくかきこんで「悪い、今日は」って図書館に行く曜日が決まっているのもいい。友人も「あ、そういや水曜日か」と志摩さんのルーティンが曜日感覚になってて欲しい。それでもって図書委員にもなってて欲しいし、その頃に視力の低下を実感して眼鏡をかけて欲しいし、ずらりと並ぶ本棚をじっくり眺めながら次読む小説を吟味する志摩さん(17)が欲しい。

 

 あ、待ってやばい、一年後輩の読書好きな彼女が「いつも水曜日にいる先輩」って気になり始めて絶対好きになるパターンでは……?隣の席とか空いてても、一席空けて座って盗み見るように横顔とか眺めて、今日は声かけるって意気込んでも結局できなくて予鈴が鳴って今日もダメだって彼女は思ってるけど、実は志摩さんは何年何組の誰かまで分かって彼女の目につく席に座ってるやつだ……?え、志摩さんって天沢聖司要素あるね……?

 

.

 

 前述の通りわたしは文学には弱く、詳しい方が考える「志摩さんの好きな文学」を教えて欲しいとばかり思う。

 図書室でいつも隣に座る彼女の表紙を確認して、ふとした瞬間に「突然ごめんなんだけど、読んだことなければ、これおすすめ」って教えてくれる志摩一未先輩と恋に落ちる高校生。ブレザーなのか学ランなのかだけ教えてくれ。

2年前の自分へ

「えっっっっっ何かこの志摩っていう人、伊吹さんよりめちゃくちゃしてるんですけどぉお??!?!?!?!?」

 

 

 と、初回放送時、通行者を守るために暴走車に対して自分が運転している車(社用)(機捜車)を体当たりで止めるという選択肢を数秒で決定した志摩一未という人物やばすぎて笑ってから2年が経ちました。

 擦りすぎて説明するまでもありませんが、わたしは元来伊吹を目的にドラマを見始め「伊吹かっこいい足早いかっこいい無理好き」と溢れ出る感情を抑えきれないまま最終話を迎えて急転直下、転がり落ちるように志摩さんにハマりました。そう考えると志摩さんにハマってからまだ2年は経っていないんですが、ずっと楽しみにしていたMIU404の1話が2年前の今日に放送されたと思うと感慨深いです。

 毎週、仕事を終えてドラマに集中するために様々なことを片付け、見終わったあとも余韻が抜けきらずTVerで2週目をするのが当たり前になっていました。Paraviには入っていなかったので、何十回もテレビ放送版を見て、いざBlu-rayが届いたら6話がとんでもないことになっててひっくり返ったことも懐かしい思い出です。

 

 今となっては、どの回を見ても「えッ………ええ……よくリアタイしている時志摩さんを冷静に見れたな?え?????」となるほど今日も志摩さんがかっこいい。もう1話見てたら「志摩一未です」って言うだけでかっこよすぎて一時停止しちゃったよ。全然話が前に進まない。それから怒涛のような2話、3話って重ねてくるMIU404っていうドラマがTVerで無料で見れるしコウノドリもいて、サムネがほぼ暴力(?)

 2年前の自分、逆にすごい。「あ~志摩さんって頭いいな~冷静だな~めっちゃ判断力あるし急に吠える」とかそんな感じで、スンとした感情でよく見れてた。何で見れてたかもはや謎。不思議。好きを持った日々色鮮やかすぎて虹の中にいるみたいだなって何言ってんだろ。

 

 米津さんが歌う『感電』の通り、まさに2年前の今日という日、細胞に電気が走ったように感動をしたのを今でも覚えています。

 とんでもないドラマを、リアルタイムで目の当たりにしているという興奮に震えました。一分一秒は同じ時間で進んでいくのではなく、その濃密さによって瞬く間に過ぎていき、それでいて何度も噛み締めることができる貴重さを知りました。

 その時はまだ志摩さんにここまでどっぷり浸るとは思ってもみませんでしたが、今となっては後出しじゃんけんのように誤差であったようにも思います。なんていったって沼が深い(真顔)

 

 2年前の自分がいてくれたから今日もこうしてMIU404に夢中になる自分がいて、きっとこの先も初回放送日には1話を見ることでしょう。

 

 『たった一瞬のこのきらめきを 食べ尽くそう二人で くたばるまで』っていやもうさ?!?!?!?!?!?!本当米津さん天才だな?!?!?!?!??!?!?!?!?!?!?!?!?

 感電100回ぐらい聞こ。

文章を書くのが好き

 きっかけはテニスの王子様か、ドラマのごくせんあたりだったように思う。当時検索をかければ簡単に引っかかる小説は当然のように名前変換ができた。もしかして自分の本名が相手に知られてしまうのではないか、と少し不安になった。当たり前だがそんなことはなく、今もサイトはサイトとして存在しているのが懐かしい。
 感化されて、ホームページを作って、お話を書いて、ブログも含めて多くの投稿や更新を続けてきた。今ではツイッターやプライベッターという媒体で何かしらの文章を書いてあげている。


 文章を書いてから、もう何年も経った。

 言葉は声に出すよりも、手で打ち込む方が早い、と気づいたのは中学生の頃だった。日常的にパソコンが手元がある中で、いちいち手書きをするのが面倒になっていた。文字を書くよりもモニターに打ち込む方がよっぽど効率的で性に合っていた。
 多感な時期であったこともあり、悲しいことも悔しいことも、つらいことも、時々滅入ることも。全てを文字に書き起こした。湧き上がる感情が衝動として込み上げてきて、間に合わないことも多々あった。言いたいことをうまく言えないことも、消化しきれないもどかしさも、たくさん抱えてきた。

 書いても消化できないことが多かった。だが、書かなければどうしようもない感情の方が、もっと多かった。

 文章を書く。誰かに向けて発信する。ひとつのルーティンになっていた中、当たり前のようで当たり前ではなかった日常を、多忙がゆえに一時的にやめた。外に遊びに行き、朝まで飲み明かすことが増えていた。どこにも告知はしなかった。やめた、といっても、本当は続けたかったができなかっただけに過ぎない。環境の変化も、状況の変化も目まぐるしかった。


 自分が書くことに意味はないと納得すれば簡単にやめることができた世界は、だが、自分が知らない誰かが思ってもみないほど評価をしてくれる、そんな世界だった。

 

 MIU404を見て、楽しくて毎日がワクワクした。二次創作を読み漁って、再び書くことを自ら望んだ。
 指が走る。楽しくて言葉が溢れる。高揚感は何にも代えがたい。
 全力疾走をしながらモニターと向き合った。書きたい気持ちと、限界の境界線に近づいていることはある程度分かっていた。

 書けば書くほど、限界を知る。言いたいことをうまく言葉にできない。調べても調べても、語彙力の限界にぶち当たる。

 もうこれ以上、何かしらを生み出すことはできない。そんな気がした。何回も、そんな気がする。

 思いながら、過ごしていく日々で不意に思い浮かんだ出来事を文章にしたくなる衝動は止めることはできない。日常の中に志摩さんがいて、伊吹がいて、九重くんがいる。時々現れる久住くんはいまだに口調が分からないでいる。

 その瞬間に鮮やかになる日々が楽しくて、指がキーボードを叩いている。

 

 自分が作る文章を肯定したいと思う。書いて、台詞を紡いで、納得がいくように完結させるのが、好きだ。
 時々どうしていいか分からなくなることもあるが、やはりどうしたって指先から言葉を紡ぐのが好きらしい。誰に伝わるかも分からない、誰にも伝わらなくていいと思いながら、誰かに伝わって欲しいと欲張りになる。

 

 お酒を飲みながら、文章を書く。ふとした瞬間、「あ、この表現、すごく好きだな」と堪らなくなる。
 その表現が誰かに響いてくれたら、そんな嬉しいことはない。

ドラマが好きな話

 まだ継続中ではありますが、春のTVerドラマ祭り、いやもうすごすぎて毎日「ちょっと待って?!」の連続でした。

 何度も繰り返し見ているドラマをもう一度見れる喜びというのは、初回放送の時に心を奪われて震えたあの瞬間をもう一度味わえることへの嬉しさと近しいかもしれません。ありがとうTVer。サンキューTVer!!!!

 以下、TVerで改めて見たドラマに関してひとりごと。

(※内容についてネタバレもあるかもしれないのでご注意ください)

 

 『コントが始まる』

 何気なく見始めて、回を重ねるごとにのめり込み、一人一人がその瞬間を生きているリアルさに唸りました。うまくいかないことも当然あって、ちょっとうまくいったとしてもそれはその先にはつながらなかったりする。日常的な絶望と希望が当たり前のように繰り返されていくのが描写されるのは喉元が締め付けられて痛くて、でも見たくなっちゃうんですよね。

 ドラマなのにドラマチックじゃないドラマで、地に足をつけた人生を送りながらそれぞれの人生があるんだな、ってしんみりともじんわりとも違う。もっとリアルな感情な響きがありました。演じている皆さんがまるで本当にその人物を生きていて、呼吸すら聞こえてくるかのようで好きです。人は簡単に泣かないけど、泣く時はこんなにも簡単に泣くんだな、と見ながら一緒にダバダバ泣きました。

 個人的にマクベスのコントをいつも面白いなと思っていたので里穂子側(?)の人間かもしれません。

 

 『救命病棟24時(第3シリーズ)』

 医療ドラマの中で最も好きだといっても過言ではありません。なかなか具体的に言葉にはできませんが、絶望の中に希望があって、希望があっても次の瞬間には絶望が潜んでいる。苦しくて目を背けたくなる現実をドラマとして描きながら、それでも前を向くことを説明くさくなく、出演されているみなさんが訴えかけてくれる姿や言葉が好きです。

 一個人の意見ですが、心を揺さぶる脚本や演出を一心に受けた役者の方々の演技はどこまでも熱が込められていて本気だな、と分かる瞬間がとてつもなく感動します。

 

『Nのために』

 わたしはMIU404が好きでハマってこのアカウントを始めましたが、人がどのスイッチを押して、押さなかったか。そのスイッチをなぜ押したのか、押さなかったかのか。その全ての機微を、心情を描いて映像として目の当たりにした初めてのドラマでした。

 映画『告白』から湊かなえさんの作品は好きですが、ことNのためには最初から最後までドラマとして成立しているところがすごく好きです。

 ドラマは小説や映画と異なり、あくまでも大衆に向けた映像作品であって、原作を知らなくてもきちんと理解できるものにすべきだと思います。原作ファンだけが楽しんでも意味がないし、かといって原作ファンを無視して設定だけを拝借してドラマを作るのも意味がない。

 そう言った意味で、Nのためにはすごく好きです。見ていると苦しくなる作品ではありますが、誰が誰のために。思い続けた背景とか、切り捨てたはずの心情とか。矛盾と葛藤が一瞬一瞬に詰め込まれていて、何度見ても息を飲みます。

 

『カルテット』

 一番好きなドラマです。人間ってややこしくて面倒くさくて、難しくて分からないながらも、分からなくていいから一緒にいる大人たちの姿が最高に好きです。放送当時から言語化できなくてもどかしい思いを抱えていましたが、改めて見て、ああ、やっぱりこの人たちは全員もどかしくて面倒くさい人たちで、だからこそ好きなんだなと思いました。

 ドラマの本編に触れるとネタバレになってしまうのでできませんが、どうしてもやっぱりみぞみぞします。不器用で、生きることもへたかもしれない四人の大人たちがそれでも自分を持って生きていく姿や言葉は何よりも尊いです。

 音楽に限らないと思いますが、自分の思想はうまいこと全員に届かない。それが当たり前であって、だからこそ押しつけようとすることはおこがましいんだろうなって思ってしまう。自分の思いを届けるために決意や勇気がある。

 届いて欲しい人に届かないこともあるかもしれないけど、届く人には届くし、届いた瞬間、本人が知らないところで誰かの人生を変える力があるんだなと思います。

 このドラマを見て、届いて欲しい思いが届いた瞬間に立ち会えたな、ってたくさん泣きました。

 

 

 活き活きと演じる役者のみなさんの演技ももちろんのこと、一生心に残る台詞を生み出す方がいて、演出する方がいて、制作する方がいる。すごい(語彙力)

 

 大袈裟かもしれないけど、やっぱりわたしにとっては大きな生きる糧です。

 この春からもまたドラマが始まるのが楽しみで仕方がない。 

一番話したいこと

 前回読書を重きに置いて文章を書いて、ああそうそう、この時こんな気持ちだったな、とかこういう思いで本を読んでたなと改めて気づくことができて自分自身にとってとても有意義な時間を過ごすことができました。
 それから漫画やアニメ、ドラマや映画など影響を受けた作品のことを深堀したいという気持ちが増幅しているんですが、それよりももっと話すべき議題があることに気づいた次第です。

 

 

 志摩さんって学ランなの?ブレザーなの?????????

 


 これはもう長きにわたるテーマですよね。そもそも公式で伊吹が学ランであることが8話で判明したため、えっじゃあ志摩さんは?!志摩さんの制服は?!?!?と気になって仕方がないですし、間違いなく設定されていることでしょう。

 

 わたしの高校はブレザーで、デザインとか色とか結構かわいかった学校でした。入校する理由としての順位はそこまで高くはありませんが、制服が好きという要素もかなりあったと思います。
 とはいえ、学ランやセーラー服の憧れももちろんありました。よくある『第二ボタン』というのも、いやブレザーだとそもそもボタン二つしかなくない?!と思っていましたし、テニスの王子様やごくせんなど、ハマった対象がことごとく学ラン代表(?)だったばかりに志摩さんも学ランであって欲しいと思う気持ちが一時期爆発しそうでした。伊吹は冬場になったら学ランの下にパーカーを着ていて欲しいですし、志摩さんはいちいち留めるのが面倒くさくて前全開で着ていて欲しいです。その爆発を押し止めていたのは何と言っても、志摩さんがネクタイを結ぶのが下手に尽きます。

 何百回も言いますが、何であんなに器用で、できないことはどんな手を使ってでも克服しそうな人が事ネクタイに関しては諦めてしまったのか、と考えると逆にブレザー説が浮上しますよね?(圧)毎日毎日締めなければいけないネクタイ、だけどうまくいかない。ひっ迫した朝にこんなことに時間を割いている場合ではないと早々に諦める高校生志摩さん。何か分かる。合理的に「不得意なことはある」ってすぐ割り切りそうだし、五人兄弟だから式典とかでネクタイを結ばざるを得ない状況になったらさくっと兄か弟に頼んでそう(多分意地でも母親には頼らない)

 

 ノーネクタイブレザー志摩さんの姿も本当に素晴らしくて、首元苦しくて大体シャツのボタン緩みがち。積極的に友人を作るわけじゃないけど、周りに好かれる志摩一未(17)何だろうな、そういう話題に興味ないだろうなって思ってるところに「俺は胸より足派」ってぽろっと言ったりするから友人の輪が広がっていくんだろうね……好き……牛乳パックのストローを咥えている姿が世界一似合う(?)

 こうなってくると両者の可能性がかなりせめぎ合っていて、ネクタイ結べないから学ラン一択だったわたしもブレザーありよりのありだな……?と頭を悩ませています。
 視力の低下もこの頃に表れていそうですよね。視力検査を根性で乗り切るのにも限界が達して眼鏡を購入する志摩さん。思っていた以上に目が悪くて、眼鏡を掛けた途端世界の鮮明さに驚く志摩さん。伊吹は視力検査の際、一番上のでっかいマークを見ながら「これ見えないやついんの?」って本気で困惑して欲しいです。ちなみに裸眼だとわたしは分かりません。

 

 話が逸れましたし、元も子もないことをいいますが、学ランでもブレザーでも白シャツを志摩さん(17)が着用していると思うだけで充分すぎるほど幸せですね……ネクタイ締めないのにボタンダウンのボタンはきっちり留めたりしてたら最高に好きです。

 思いのほか結論がでなくて笑いました。もう何か登校中に足止めくらった信号待ちに後ろから「おはよ」って声かけてくる志摩さん(17)と教室まで行きたいし????テスト近くなったら「交換条件っていうのはどうだ?」ってお互いの得意な教科を教えたり教えられたり??????それで良い点取れてご褒美みたいにコンビニでハーゲンダッツ買うかスターバックスでちょっと高いドリンク頼んじゃったりしたいな?!?!?!??!?!?

 

 あれつまりこれって、志摩さんが学ランでもブレザーでも???????え??????????青春楽しめたら……

 

 アッ それでいっか~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!